飯坂町鎮守八幡神社は創建古く年月は不詳であるが、社伝によれば平安時代後期の天喜4年(1056)、後三年の役で奥州に出陣した源義家がこの地にさしかかったとき空に長くたなびく八条の雲を見て、あたかも源氏の白旗が大空に翻るかの様に、義家は守護神の八幡大神が戦勝の験として示されたものと信じ、必勝祈願のために勧請したと伝えられている。
 その後の養和年間(1181)に、大鵬城主・佐藤庄治基治が豊前国宇佐八幡宮を奉遷して社殿を建立し、武神八幡大神を祀り幾多の武器を寄進して武運を祈願した。時は降って宝永7年(1710)、城内から現在地に再建されたのが現在の社殿であり、3世紀の風雪に耐えて郷内の氏子崇敬者の平安を鎮護した。
 明治4年(1871)に村社に、同23年(1889)には郷社に、同時に幣饌料供進指定社としてこの郷の総鎮守に列せられた。社格は大東亜戦争後、国の神社制度改革により廃止され、新しく『宗教法人 八幡神社』として現在に至っている。

 主神の「誉田別命」は、第15代応神天皇として、率先して外国の文明開化を摂取した大和朝廷の傑出した文化人指導者であった。
 相殿の「息長足姫命」は、第14代仲哀天皇の后として神功皇后と称され、応神天皇の母君にあたる。面目躍如たる強堅な意思と国際的視野をもった女傑であった。
 また「玉依姫命」は、日向朝廷に新たに加わった海神で、奇しくも初代神武天皇の母となった。
 御祭神の三柱は元来
【厄除開運】【交通安全】を始め【縁結び】それに【子授け】【安産】【漁業】の神であるが、源氏が守護神としたことから【勝運】の神として崇められ、戦前は【武運長久】の祈願崇拝が絶えなかったが、戦後は、新しい時代の氏神様として、社頭は【必勝祈願】【交通安全】【スポーツ・芸事上達】【勝負事】の御利益を願う氏子崇敬者を始め、東北有数の温泉地である当地を訪れる多くの観光客で賑わう。

■御由緒■

■御祭神と御神徳■

   誉田別命(第15代応神天皇)
   息長足姫命(神功皇后)
   玉依姫命